遊就館
という施設をご存じだろうか。
ざっくりいうと、靖国神社の中にある博物館である。
本物のゼロ戦があったり、
実際に戦場で使用された、弾痕生々しい銃器が展示されていたりした。
展示は1階と2階に分かれており、
2階(古代~第二次世界大戦直前まで)
1階(第二次世界大戦中心)
という構成になっている。
また、お土産コーナーも充実していて、
以前から半分勉強・半分好奇心といった気持ちで行って見たいと思っていたのだが、
実際に訪れてみると、なかなかヘビーだった。
なんというか、自分が漠然と授業で習ったり映像で見ていた「戦争」というものが、
実体として身に迫ってくるような、他人事ではない生々しさがあった。
特に最後の亡くなられた方の遺影がずらりと並ぶ部屋は
胸が詰まるというか
もはや息苦しくて、くらくらした。
政治的なことは言うつもりはないが(炎上したくないし…)
この神社は、戦争で犠牲になった人たち・その遺族の
寄る辺のない悲しみや苦しみを受け止めるためにある場所なのだなと思った。
***
そしてご飯を食べた帰り道、
たまたま通りがかった代々木八幡宮に寄り、お参りした時、
上手くいえないのだが、ふいに、
「なんか変なの連れてきちゃってすいません」
と思った。
その後、普段は歩かない、閑静な夜の住宅街を歩いていると、
横尾忠則のY字路みたいな道がなんどもなんども出てきて
月は低く猫の爪のように鋭く
その日はエイプリルフールで、
隣を歩いている彼氏の存在が実は嘘なんじゃないか
そもそも私が今生きている世界が全部嘘なんじゃないかと
誰かの(私の?)夢なんじゃないかと
珍妙不安な気持ちになって、また頭がくらくらしてきて
ほっぺをつねってみたが、痛かったので少し安心した。
家に着いた後も珍妙な恐怖は消えず、
玄関の外で何かが屯してるんじゃないかと妄想が膨らみ
こたつにゴロンと寝そべる祖母に「お化けが怖い」と泣きついたら
「馬鹿じゃないの」と笑い飛ばされ
少しむっとはしたが、
ガハハという笑い声と共に何かも飛んでってくれるんじゃないかと
少し安心もし、
そのまま眠りについた。
貧乳問答歌
なにせ貧乳である。
学生の時から「AAA(トリプルエー)」と馬鹿にされ、
大人になっても、銭湯に行けば年下の女の子たちが自分より豊かな胸をブルンブルン震わせ闊歩しているのを見て凹み
篠崎愛の写真集を見て悶絶し、
とはいえ巨乳は全体的にふくよか!私はまだ痩せている方だから仕方が無いと自身を慰めていたら、
最近ではイズミリカとかいう究極の細身巨乳が現れ心の拠り所を喪い
あんな体型に生まれ落ちるには前世で村人たちを救うために自ら山のヌシの生け贄となり命を捧げた村娘(おそらく名前はサチ)くらいに徳を積んだに違いない。そうだと言ってくれ。と願いつつ、
歯を食いしばり豆乳ときなこ、唐揚げに生キャベツ(巨乳になると言われている四種の神器である。ちなみに生キャベツに含まれるバストアップ成分を「ボロン」というらしい。ふざけたネーミングである)を摂取し、隙あらば己で乳を揉みしだく
そんな暮らしをしている。
そういうと胸の豊かな友人らは、
「いや~肩こるから辛いよ~」だの
「カップが大きすぎるとブラが売ってなくて大変! 」
だのとのたまうが、
じゃあ私の乳と交換するかと訊ねると、揃って黙りこくる。
気休めのことばより欲しいものはお前の乳だ。ちぎってよこせ、今すぐにだ。といつも思う。
では、貧乳の何がデメリットか。
色気が全く無い・貧相というのは勿論であるが、(この悩みが95%ほどを占める)
地味に面倒なのが、着られる服が少ないことだ。
襟ぐりが緩めの服や、Vネックのニットはもれなく着られない。
「鎖骨チラ見せで上品セクシー♡」だの
「ゆったりニットで女の色気ゲット♡」だのを狙おうとすれば、
ただの「ゆるゆるの服を着ているだらしないやつ」と化す。
そして屈むと色んなモノがコンニチワしかねない危険性を常に孕んでおり、
うっかりそういった服を着てきてしまった日には、一日中トイレを我慢しているオカマの如くクネクネソワソワする羽目になる。
また、かといってタイトなシルエットの服やタートルネックを着ると、
真っ平らの胸が悪目立ちし、「私、貧乳です!」と自ら主張しているような状況になる。
斜めがけのショルダーバッグなどを装着しようものならさらに悲惨さが増す。(谷間の〝無さ〟が強調されるのである)
ああ、一度でいいからパイスラッシュ、してみたい。
鎖骨みせで華奢見え、してみたい。
そうぼやきながら、UNIQLOのセールで無難な丸首のカシミヤニットを大量買いする日々である。
そんな中、今から数年前のことであるが、「催眠術カフェ」なるところで「バストアップ催眠」をかけて貰えるという噂を聞きつけた。
新宿ゴールデン街にひっそりと佇んでいたその店は、一見するとありふれた清潔なカフェであった。催眠術をかけてくれるというマスターも、至って普通の男性である。
本当に催眠術なんてあるんだろうか?期待と疑いに胸を膨らませながら早速催眠をかけて貰う。
手を握られ、「あなたはどんどん眠くなる…」といかにもな暗示を掛けられると、
いかにもではあるのだが、本当にどんどん自分が深い闇のようなところに落ちていくような、半醒半睡の感覚に陥った。これは、いけるかもしれない。
夢うつつのぼんやりした頭の中でガッツポーズを取る。そして催眠状態に入った私にいよいよ「バストアップ催眠」がかけられ始めた。
マスター(以下:マ)「あなたの胸の内側の筋肉が、だんだん柔らかくなって…」
私「(…なって?)」
マ「おっぱいが、上を向きます…」
私「;`;:゛;`(;゚;ж;゚; )ブフォ」
うつむきながら思わず噴き出した。
身体が小刻みに震える。
その後も淡々と続けられる暗示。
マ「あなたの目の前に、とてもかわいい赤ちゃんがいます…」
私「(ほう…)」
マ「あかちゃんにおっぱいをあげなくてはいけません…」
私「(えっ)」
マ「あなたのおっぱいはどんどん大きくなります…」
私「(えっ)」
以下が、その際の動画である。
確かにマスターの腕は確かだった。
しかし、その暗示の内容があまりにシュールで、催眠に集中できなくなってしまったのであった。
現在、マスターはインドだかチベットだかに修行に出ており、カフェは営業を続けているものの催眠術は行っていないようだが、
ゴールデン街辺りを歩く度に、あの時のことを思い出すのであった。
そして私の胸は、今日も貧乳のままである。
飲み会がきらいだ
はじめまして。
これから徒然なるままに、
トホホな日常について書き記して行きたいと思います。
「上手く生きられないわ~」と日々悶々と暮らしている人にとって、
「こんなクズもいるんだ!私まだマシ!!」と、
ささやかな励みになればいいなと思います。
★★★
何を隠そう、職場の飲み会が嫌いである。
夜9時頃、人がまばらになったデスクに
「行くよ~」
と号令が響き渡る。
私にとってそれはサヴァトへの招待だ。
魑魅魍魎たちの晩餐会だ。
地獄に繋がる仄暗い井戸から「ブォ~ブァオ~」と聞こえるホラ貝の音のようだ。
まずは聞こえないふりをするが、
自然に身体がガチガチに固まり、顔が鉄仮面のように強張り、
全身から「忙しいから声かけるなよ」オーラをビンビンに放ってしまう。
それだけならまだしも、さらにややこしいことに、
この時の私の感情は真っ二つに裂けている。
・心から飲み会に行きたくないという気持ち(99%)
・とはいえ、誘われないとほんのちょっぴり寂しいので、一応声だけは掛けてほしいという気持ち(1%)
とんだ甘ったれワガママ野郎である。
私がライオンの母親だったら容赦無く谷底に突き落としているところである。
しかし、ここは幸いにも日本の古き良き終身雇用制の企業。
ありがち、かつ理想の流れとしては、
飲み会を心から楽しめる健常な人(以下:健) 「飲みいかない?」
私「えっと…、今日忙しいんで、ちょっと今回は…。ゴニョゴニョ」
誰か「私さん、明日プレゼン控えてるから忙しいもんね」
私「(おっ!ナイスフォロー!!)そうなんですう~~!いやぁすみません~~行きたかったですけどねぇ~!!( ここから急に饒舌になりがち)」
健「そうか~残念。じゃあ頑張ってね~!」
私「お疲れ様です!」
これが最高のパターンである。
しかし、このパターンには一つ、引っかかりがちなトラップがある。
それはうっかり気が緩み、悠々とその直後に帰ってしまうというトラップだ。
せっかくフォローしてくれた人も、
「あれ、意外と退社早いじゃん…本当は行きたくなかっただけ?」
と勘ぐることになり、
それを繰り返すと次第に、「あいつ、只の忙しぶってるコミュ障」とメッキが剥がれ、
飲み会に声を掛けられなくなると共に、信頼も喪っていくだろう。
できれば小一時間はメールを打つふり、
あるいは別に明日以降の作業でも良い積み残しの仕事など片付けつつ、待機するか、
可能であればフォローしてくれた人より後に帰るべきだ。
しかし、上記のようにいつも上手くいく訳ではない。
いつも断っていると「つきあいの悪いやつ」となり
ひいては仕事上でのコミュニケーションが円滑に取れなくなり、
どうしても2~3回に1度は出席する羽目になる。
だが、私の場合は出席したが運の尽きだ。
人間同士には互いに、「信頼・好意指数」のようなものがあると日々感じているのだが、
私の場合、飲み会に出席した際にこの指数が上がる確率は30%程度。
残りの70%の場合では、
「無理して出た割に結局何一つ面白い話を出来ず聞き役に回るも気の利いた返しのできない更に料理などの取り分けや酒を注ぐタイミングを図るのさえ不器用で下手くそな究極のデクノボウ」と化すのである。
酒も弱いし基本的には嫌いだ。たくさん飲んでも腹を割って素で話せるどころか眠くなる。酷い時には気持ち悪くなる。(挙句往々にして寝過ごし終電を乗り逃がし、降りたことも無い地方駅で寒空の下タクシーを待ち詫び吐き気を催しながらタクシーに乗り込み命からがら1万円也を支払いどうにかこうにか帰宅する羽目になる)なんつうか、それより紅茶とかほうじ茶とか飲んでほっこりしたい。それだけ。
と思いつつ、「まずはビール」の空気に合わせ、周りの注文に乗っかる。もちろんビールも嫌いだ。一般的な人たちによれば喉ごしが良いという話だが、ただの苦い炭酸としか思えない。しかし上手く隙を見て好きなモノを頼める器用なタイプでもないし、メニューを自分のもとに手渡してもらって選んで…という時間で他の人を待たせたくないし、いきなり「カシオレ!」(私が唯一まあ美味しいと思えるお酒である。あるいはファジーネーブル。梅酒。でも別にジュースでいい。むしろほうじ茶でいい。)と言って「近頃のゆとり女は」と顰蹙を買いたくないし。で、ビールを頼む。
当然、減らないビール。すると、たまに気の利く人が「他の頼む?」と訊ねてくれる。そこでようやく、主張の下手くそな私は、「じゃあ、ウーロン茶で…」と遠慮がちに伝えることが出来るのだ。
しかし、この時の私は「あぁ、また気を遣わせてしまった。やっぱり嫌々ビール飲んでるの、分かっちゃうんだ。申し訳ないな」と罪悪感でいっぱいなのである。すでに飲み会を楽しめる気分ではない。
おわかり頂けただろうか。
ワガママな癖に主張が下手くそ、さらに気を遣うのも下手くそな私にとって、飲み会は地獄なのだ。
ただ、それらを乗り越えて「エイヤッ」と飲みまくり、トイレでこっそり吐いて、こっそり寝て、命からがら帰って、また朝、遅刻せず出社して。
そういう営みの中で新しい関係が構築されることも、まれに、ごくまれに、ある。
私はこれからもギリギリのところで戦い続けるんだろう。